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IE夜明け前

IE(Industrial Engineering)は人・モノ・金・情報を含む企業経営の諸課題に対して科学的アプローチによって解決を図り、より効率的な企業活動を推進する管理技術である。

IEの起源は20世紀初頭に誕生したフレデリック・テイラー(Frederick・W・Taylor 1856-1915)の科学的管理法(Scientific Management)といわれ、成行管理だったそれまでの作業現場に科学的管理を持ち込んだ。

テイラーの科学的管理法は突如として、この時代に降って湧いたわけではない。人が社会的存在であることを考えれば、テイラーもまた管理技術の先駆者たちの影響や時代の要請を受けて科学的管理法にたどり着いたことは明らかである。

産業革命によって生産の中心は機械制工場へ

18世紀後半、イギリスで始まった産業革命は人、モノ、機械の関係を大きく変え、暮らしを一変させた。
それまでの生産活動といえば、商人が生産手段を与えて家庭で加工する問屋制手工業や、手工業者を工場に集めて運営するマニュファクチャ(工場制手工業)であった。資本主義の胎動期におけるこれらの生産洋式ではまだ大規模生産にはいたらなかった。

当時、加工した綿製品をアフリカやアメリカに輸出していたイギリスは、インドの綿製品との競争が激化し、綿製品を安く大量に生産する必要に迫られていた。そこで登場したのが紡績機である。紡績機はまもなく蒸気機関と結びついて大量生産を可能にした。それまでの古い手工業を支えていた生産道具は機械に転換され、生産の主導権はマニュファクチャから機械制大工業へと変化していった。

産業革命が進むにつれ、都市部を中心に工場で働く賃金労働者が増大していった。工場は多くの労働者を抱えるようになったが、まだ生産管理技術はなく、長時間労働や効率性の問題を抱えていた。

分業制による生産性の向上

どのようにすれば工場の生産活動を効率的に行うことができるのか。
18世紀の工場経営はまだ模索段階であったが、生産管理に対する研究はすでに始まっていた。その中には後の科学的管理につながる分析や研究の萌芽もみられた。

アダム・スミス(Adam Smith 1723-1790)は「国富論」のなかで、ピン製造を例に未熟練工が一人でピンを作るよりも、作業工程を分けて複数人で分担した方がはるかに効率的で、生産性が高いと述べている。分業によって、一つの作業を繰り返すことで技能が向上し、ある作業から別の作業に移る時間を省くことができ、さらに各作業を簡単にする機械が生まれると考えた。アダム・スミスは分業こそが生産性を高める方法であり、あらゆる産業で分業制を取り入れることで国の富を増やすことができると考えたのである。

「コンピューターの父」と呼ばれるイギリスの数学者チャールズ・バベッジ(Charles Babbage 1791-1871)は、著書「機械化と工業化がもたらす経済効果」のなかで、アダム・スミスの分業論を継承し、その効果について述べている。
彼は機械技術に精通するためにイギリス各地の工場を回りながら、機械や工場管理の実態をつぶさに分析。正確な作業分析による最適賃金を導き出し、労働者の能力に応じて職務に最適な人員を配置する「バベッジの原理」を提唱した。つまり、熟練労働者はスキルが必要な仕事を担当し、スキルを必要としない簡単な労働は未熟練労働者が担えば、労働コストが抑えられると考えた。バベッジの分業研究には、後にテイラーが行った作業分析や時間研究の原型がみられる。

テイラーとその時代

フレデリック・W・テイラー

イギリスで始まった産業革命はアメリカにも波及していった。テイラーが工場管理の第一歩を踏み出そうとしている頃、アメリカの工場はどこも賃金問題を抱えていた。当時は賃金を決める基準は必ずしも明確ではなかった。経営者側の管理もその場しのぎの成行管理で、現場も非効率生産や怠慢が蔓延していた。

工場側は出来高を増やすために日給制を出来高払いに切り替え、利益配分制度も取り入れたが効果は見られなかった。

この頃、アメリカでは能率増進運動が起こり、アメリカ機械技師協会(ASME)が中心になって賃金の支払い形態や1日の標準作業量である「課業」についての論議を広めていた。

工場の管理者になったテーラーは、出来高を上げるためにあれこれ手を尽くしたが、組合や工員の激しい抵抗を受けた。そこで、彼は労使双方が納得する基準が必要であると考えるようになった。

それは科学思想に基づく客観的分析によって導き出される基準でなければならなかった。テイラーは作業要素を細かい動作に分け、それぞれの動作が必要かどうか分析した。その中から無駄なものを取り除き、必要な要素だけを総合して、標準作業をつくった。さらに、工具や機械など作業条件も標準化した上で、要素動作にかかる時間をストップウォッチで計測し、標準時間を算出。ゆとり時間を加えて1日の勤務時間のなかでやるべき仕事量=タスクを決めた。
テイラーはタスクを達成した工員には高い単価で、達成できなかった工員には低い単価で賃金を支払うことにした。

その後、テイラーはコンサルタントとして独立し、工場の生産管理に携わりながら、持論を深め、後に弟子やギルブレスらによって名づけられた科学的管理法を確立していった。

科学的管理法では(1)作業の単純化(simplization)(2)専門化(Specialization)(3)標準化(Standardization)という3つの基本原則を打ち出した。これらを実現する科学的手法が作業研究と時間研究であった。科学的管理法は成り行き任せだった生産現場に「管理技術」を定着させ、産業の近代化に貢献した。

しかし、科学的管理法は必ずしも労働者に受け入れられたわけではなかった。
テイラーの科学的管理法は科学を重視するあまり、科学では推し量れない人間的な要素を排除した厳しい管理技術であった。
労働組合はストップウォッチによる時間研究が人権侵害であり、労働強化につながるとして拒否した。また、管理者の業務を分担するために考案した「計画部門と執行部門(生産部門)の分離」は、ホワイトカラーとブルーカラーの対立を生むとされ、批判された。
科学的管理法に欠けていた人間的部分はその後、彼の弟子や後世の学者らによって引き継がれ、改善されることになる。

レンガ積み作業の動作分析を始めたギルブレス

テーラーからやや遅れて登場したのがギルブレス(Frank.B.Gilbreth,1868-1924)である。ギルブレスは科学的管理法の動作研究を発展させた技術者である。
彼はレンガ職人の見習いからスタートし、レンガを持ち運ぶために作業員が1日1000回以上、腰の曲げ伸ばしする姿を見て、レンガ積み作業の能率問題に興味を抱いた。
ギルブレスは職人たちの動きを観察していくうちに、適正な場所にレンガや工具を置けば腰をかがめたり、伸ばしたりといった無駄な作業を取り除けることができることを示した。

ギルブレスの功績は科学的管理法を継承しながら動作研究を優先し、深めていったことである。彼は作業を行うときの基本動作を18種類の動素(サーブリッグ)に分類し、それぞれを定義して記号化した。
ギルブレスの動作研究は目視による分析では終わらず、16ミリフィルム撮影機を現場に導入し、映像による「微動作研究」に及んだ。

OTRSではデジタルムービーカメラで撮影された映像をPCに取り込んで動作分析を行っているが、ギルブレスは動作分析には映像がもっとも有効であることをすでに見抜いていたのである。

ギルブレスの動作研究はモーゲンセンの作業簡素化計画に引き継がれ、その後IEの基本的な技法になっていく。

また、ギルブレスは作業の効率化を求める一方で、心理学者のリリアン夫人の影響を受けて、労働者の疲労についての研究など、生産現場の人間的要素にも踏み込んだ。テイラーの弟子の中にも科学的管理を継承しつつ、人間的要素に注目した人がいた。

テイラーの弟子、ガント

ガント・チャートで知られるヘンリー・L・ガント(1861-1919)は、労働者が意欲を持って働くための動機付けに配慮した。これは今日でも多くの企業の中で取りざたされているモチベーションの原型といえる。それは労働者が経済的成果より社会的成果を仕事に求めることを明らかにしたメイヨー(George Elton Mayo 1880-1949)のホーソンの実験にもつながっていく考えである。メイヨーはホーソン実験の結果、職場の信頼関係があってこそ高い生産性が生まれると考えた。

また、ガントの柔軟性や人間的要素を重視する志向は、ガント式タスクボーナスを生み出した。指示通りタスクを完了した者も、完了できなかった者も、等しく日給をもらうことができるが、それとは別にタスクを完了した者には別途出来高払いが適用されるというものである。

労働者にとってやや厳格すぎた科学的管理法は、ギルブレスや弟子、その後の学者らによって人間的要素が加えられ、発展・拡大し、多くの生産現場で採用されていった。

科学的管理法で成功したフォード

科学的管理法でもっとも成功した例の一つがフォードである。
19世紀から20世紀にかけ、先進国ではメディアの発達とともに大衆社会が出現。人々の消費欲が高まっていった。
フォードはそれまで貴族や一部の金持ちしか所有できなかった自動車を一般の人々まで広げようと考え、自動車の大量生産に乗り出した。その生産を可能にしたのが科学的管理法である。

フォードはギルブレスのアドバイスを受け、作業工程を細かく分け、ベルトコンベアでT型フォードの大量生産に乗り出した。作業員は作業マニュアルにそって働き、部品も規格化された。科学的管理法を徹底することにより成功を収めた。

労働者の賃金問題や出来高の増加といった問題解決から始まり、労使双方が納得のいく基準の作成という明確な目的を達成することで発展していった科学的管理法。テーラーやギルブレスを引き継いだ人々は、その後、労働者を苦しめるイメージが残る科学的管理法という名称をやめ、IE(インダストリーエンジニアリング)という名前で呼ぶことにした。

いま私たちはIoTという新しい産業革命の時代を迎えている。IoTは企業の生産やサービスの効率化を進めるだけでなく、一人ひとりの生活のスタイルにも大きな影響を及ぼしていくことは間違いない。ムダ・ムラ・ムリを取り除き、最適で最速の対応を実現することで利益を上げ、企業価値を高めていくことが求められている。


参考:
上野一郎著「マネジメント思想の発展系譜 テイラーから現代まで」(出版元:日本能率協会)
「科学的管理 F・W・テイラーの世界への贈り物」(編集 J・-C・スペンダー、H・J・キーネ 監訳 三戸 公 小林康助)

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